田舎に住むということ

田舎の更に奥の山あいの地区では人が住んでるのかさえわからない場所がある。
自分の住んでいる田舎は棚に上げて置いて言うのだが、慣れない土地では少し緊張する。
たいていの場合、きれいに整備された畑や水田が突如現れ気持ちが和む。
人がいるわけではないが、人が来て何かしら手を加えた様子や気配を感じて内心ホッとするのだ。
なかには絵に描いたような美しい景色に出逢えたりする。
そういう素晴らしい情景、例えばよそ者の私をこっそりもてなしてくれるような道端の向日葵とゴミひとつ落ちていない景色を見て心揺さぶられずにはいられない。
そこに住む人たちの民度の高さや生活の豊かさを、つい考えてしまう。

勝手に愛猫週間

ネコがテレビの上で寝る

最近、テレビの上で寝るのがブーム。
彼女はテレビをつけてる時があたたかくて気持ちいいことを知ってます。
たまにウトウトしすぎて落ちそうになってズルっとなったり、画面に落ちたシッポがちょうどいい場所に被さり、可笑しくしてくれています。

継いでいく気持ち

自宅の前に小さな畑があります。
大正生まれのおばあちゃんが丁寧に手で耕し、きれいに整理された畑です。
そのおばあちゃんが今冬お亡くなりになりました。
そのまま荒地になるのかと思っていましたが、同じ大正生まれの弟さんがひとつ離れた地区からやってきて畑を耕しています。
家族からは何があってもおかしくない年だからと反対されてるらしいのですが、お姉さんが残した畑を彼の想いでつないでいます。
またその行動力もすごく、
おじいさん「この余ったところに何を植えたらいいと思う?」
私「ズッキーニがいいと思う。」
1時間後には植えたこともないズッキーニの苗を植え、見事に成長させています。
極端な人口減少と高齢化、空き家と荒地が目立つ山里の風景ですが、忘れていた大切な何かを感じたひとコマです。

川鵜

大鰐町を蛇行して流れる平川にカワウがいます。
以前そのカワウを観察してたら、もう一羽のカワウが目の前の深い川淵で小魚をくわえました。
もう一羽のカワウと思ったのは、なんとカラスだったのです。
同じ黒装束のその鳥はカワウの捕食を観察してたのだろうか、すごい瞬間を見てしまったとひとり興奮しました。

春の山里雑景

春の夕暮れ時から宵にかけての山あいの風景が好きです。
なんともいえない穏やかな彩りと刻々と変わる光のコントラストの表情が豊かです。
また宵の星空は農業の女神おとめ座としし座、うしかい座とおおぐま座のしっぽがつながり見事な春の星座を奏でます。

日々是考日

見える仕事と見えない仕事。
例えば音楽のように完成した音を弾いたり吹いたり唄ったりする仕事。
一方でなにも無いところから音を創り出す仕事。
どちらも同じように見えるが、新しい音を創り出す仕事は容易でない。
ものを考えて生み出す苦しみは禅問答のようなもの。
唯一この苦行のような行為を緩和できるとしたら、毎日「考える」という行為を絶やさず、五感で鍛錬することくらいだろうか。
見えない仕事とはそういうものである。

仕事のスタイル

仕事はいつも野球の試合のような緊張感。
自分たちの全神経を集中させ、際のきわ、最後にギリギリセーフの歓び。
たまにギリギリアウトという涙。
でもほとんどの試合は涙もでない清々しい大差負けという戦を繰り返し30年がたちました。
応援してくださる数少ないファンの皆様のためにもスゲェぞわにもっこ!という豪快な逆転満塁場外ホームランを打ちたいものです。

ものさし


センスとはなんだろう。
うまく言えませんが、仕事や日々の生活で、自分たちのものさしになるものをいつも探しているそんな感覚でしょうか。

船出の日


先日材木屋さんに向かう途中、白鳥たちに会いました。
雪解けの田んぼに集まり、もみ殻を食べ長い旅に備えます。
冬鳥たちが帰る季節です。
自分の周りも新しい船出を迎える人たちがいます。
その人たちが幸多き出会いに恵まれますよう乾杯!